鄭志鴻老師の最後の授業
- 2015/12/29
- 02:10
12月15日、久しぶりに鄭志鴻老師を訪ねてきた。
そして、結果としては、この日の稽古が鄭先生との最後の授業となった。
当然ショックでもあるし、寂しくもあるが、感傷的なものではなく、今年の春から頻繁に中国への帰国を繰り返されていたので、とうとうこの日がやってきてしまったかといった感じである。
今回の中国滞在中に彼が長年研究してきた甲骨文字や古代天文学の研究を認めてくれる機関があり、仕事や住居なども含め、トントン拍子に話が進んだようだ。
正直を言えば、良い話過ぎて大丈夫だろうかという気もしたが・・・、これまでの研究の成果が実りを迎える事に素直に「よかったね。」と嬉しく思う。
振り返れば、鄭先生とは途中ブランクもあったが、ちょうど20年の節目となる。その間、古典太極拳、宋長栄派八大掌、程廷華派老八掌、子母鴛鴦鉞、古太極剣、三十六式太極刀、武当龍門十三槍などを学んだ。
特に2010年からの5年間は、ほぼ毎月一回個人指導をして頂いた。
残念ながら、現在学んでいた傳剣秋派の八卦掌は第二掌で終わってしまったが、もう十分である。
まだまだ学びたい気持ちはあるが(せめて、もう一年…。)、欲を言っていてはきりがない。そういう時期が来たという事だ。
鄭老師からは以下の言葉を受け取った。
「あなたは本物を見て、知っている。何が偽物なのかも分かるはずだ。」
「これまでいっぱい教えたけど、これからは習うのではなく、自分自身で真理を身につけていってほしい。」
「自分で身につけなければダメだ!練習をしていると、過去の拳士たちの事がわかってくる。また助けてくれる。」
「そして日本にきちんとしたものを残していってほしい。」
この言葉は私だけでなく、当会で老師の指導を受けた皆さんにも受け取って頂きたい。
今後、日本や中国でお会いする機会に恵まれるかもしれないが、じっくりと学ぶ機会、復習する機会はないだろう。
いつまでも老師に甘えていても仕方がない。習いたくとも復習する機会はないのだ。今後は自分自身で切り開いていくしかない。武術とは最終的にそういうものだと思う。

最後の5年間、近しく個人指導をして頂いた小倉庭園外苑。もう二度とこの場所で練習する機会はない。

残念ながら、第二掌(双換掌)までとなった傳剣秋伝の八卦掌。

拝見するのは最後となるかもしれない鄭先生の八卦掌。この日は走圏と単換掌を目に焼き付けた!

独特の雰囲気を醸し出す古典式太極拳。写真は単鞭。

鄭先生の古典式太極拳 野馬分鬃。

最後に小倉城をバックに。出会ってから丸20年。お互いに様々な事を経験し、年輪を重ねた。

練習後は、鄭先生が愛した小倉城下を二人で探索。

鄭先生が最初に道場を開いたのは、小倉城内の広場だった。

鄭先生が河図洛書の原理の確信を得たという石。

中国原産の大イチョウと鄭老師。

日本の地に伝統の中国文化を伝えた鄭志鴻老師。今後の彼の活躍に期待したい。
2015年12月22日 記す
さて、今回の鄭老師の帰国に関して、私が改めて感じた事は、いま学んでいる老師とも、いずれ必ず別れの時が訪れるという事だ。
今回のように帰国という場合もあるだろうし、逆に海外への移住を考えている場合もあるだろう。また私が以前学んでいた老師は、70歳の時に指導の一切を引退された。他にも様々な理由で老師に学べなくなるというケースはあるだろう。
そうなった時に慌てて「老師、もっと教えて下さい。」と言っても仕方がない。老師にも次の人生があるのだ。次の一歩を踏み出そうという時に、足を引っ張られても困ってしまうだろう。
武術に限らず、やはり学ぶという行為には、教える側に教える時間と環境があり、学ぶ側にも同じように学ぶ環境がなければ成就するものではない。その上で時期や運、タイミングといったものが関わってくる。(詳しくは、「学ぶ時期、運、縁、タイミング」のページを参照されたい。)
今回は、そういった不測の事態に備え、いかに武術を学んでいくかを再度考察してみたい。
伝承、復元、発展
これは、湧泉会の特徴のページに記載されている当会の活動理念である。
伝承とは学ぶ側にとっては習得の期間である。その門派の一般的な練習カリキュラムと体系を学ぶ期間と言える。門派によって異なるが、大体8~10年といったところではないだろうか。
そして、その中でも最も重要なのが最初の3~4年である。この期間は基礎、根幹を学ぶ時期である。
この期間は、とにかく密度濃く学んでおく必要がある。この期間に稽古の出席率が非常に低かったり、師の言う通りの練習をしていないと、結果としてこの基礎を学ぶ期間がダラダラと2倍3倍となってしまう。
逆に言えば、この期間さえしっかりと学んでおけば、この後の期間はある程度、間が空いてしまっても、当人に学ぶ気持ちがあれば習得していくことも可能だろう。
さて、基本を学んだ後は、その門派の主要な套路をいくつか学んでいくことになる。そして套路も学び終えました。さあ卒業です。で終われば良いのだが、中国武術に限らず東洋の伝統武術は、主要な套路を学び終えてからが本当の修行であると思う。
本当に真面目に練習をしてきた方は、套路を覚え終えても、自分の動きと老師の動きが違うという事に気付くだろう。また老師のように技も効かない。
気付かない人は、まともな練習を積んでいないか、その老師自体に問題があるのだろう。やはり、まともな修行を積んできた老師なら、少なくとも套路を学び終えただけの者とは、別次元の動きや技を有している筈だと思う。
そして学習者は、ここから少しでも老師の動きに近づくための努力をしていかなければならない。そう、老師の動きを復元していかなければならないのだ。
しかし、ただ練習の量を増やしてみても、なかなかその差は埋まってはくれない。
そこで、必要なのが当会の名称の由来である思考・行動・創造である。
まず、なぜうまくいかないのかを考え、仮説を立てる。そして、その仮説を基に練習してみる。
当然、一度でうまくいく筈もない。
うまくいかなければ、再度仮説を立てる。練習を繰り返す。この繰り返しが思考であり行動である。
それを何度繰り返してみても、なかなか老師の動きには近付けない。
なぜか!?
老師のほうでも、同じ作業を繰り返しているからである。
老師のほうでも、彼の師の動きや原理を追いかけ、復元を目指している。更に一定の感覚(功夫)を得ている老師は、単に復元だけでなく、そこから自分なりの技術や練習方法を創造し、発展させていく。
それでは、いつまでたっても師に追い付けないではないかと思う方もいるだろう。
確かに、その老師が練習を続けているうちは、老師を追い抜く事は難しいだろう。
しかし、この伝承から復元の過程を得る中で、思考し行動した成果は、確実に身体の内面を変革させ、蓄積させていく。例えれば、冬の間に蓄えたエネルギーが春に芽生えるようなもので、いつ現実に表に現れるか、その時期を待っているのである。(具体的に言えば、様々な動き試す事によって、脳と身体各部を繋ぐ神経回路が開発されていく)
俗に中国武術の世界では、三年で小成、六年で中成、九年で大成と言うが、忙しい現代社会では難しい。馬貴派では、三年で小成、八年で中成、十年で大成と言う。
いずれにしろ、習得してからが勝負であるが、老師が近くにいて頼れるうちは、ついつい甘えが出てしまって自立ができない。
さて今回の鄭老師の帰国が、私自身や当会にどのような影響を与えていくのだろうか。
私の中では、既に5年先までの生徒に指導する練習カリキュラムが構築されてある。そこに、これまで意図的に公開してこなかった鄭老師に学んだ技術が加わってくる。それも、ただ加えるだけではない。いかに料理していくかを考え始めた。
今後の当会の練習カリキュラムがどのように創造され発展していくか、私自身が一番楽しみである。
2015年12月29日 記す
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そして、結果としては、この日の稽古が鄭先生との最後の授業となった。
当然ショックでもあるし、寂しくもあるが、感傷的なものではなく、今年の春から頻繁に中国への帰国を繰り返されていたので、とうとうこの日がやってきてしまったかといった感じである。
今回の中国滞在中に彼が長年研究してきた甲骨文字や古代天文学の研究を認めてくれる機関があり、仕事や住居なども含め、トントン拍子に話が進んだようだ。
正直を言えば、良い話過ぎて大丈夫だろうかという気もしたが・・・、これまでの研究の成果が実りを迎える事に素直に「よかったね。」と嬉しく思う。
振り返れば、鄭先生とは途中ブランクもあったが、ちょうど20年の節目となる。その間、古典太極拳、宋長栄派八大掌、程廷華派老八掌、子母鴛鴦鉞、古太極剣、三十六式太極刀、武当龍門十三槍などを学んだ。
特に2010年からの5年間は、ほぼ毎月一回個人指導をして頂いた。
残念ながら、現在学んでいた傳剣秋派の八卦掌は第二掌で終わってしまったが、もう十分である。
まだまだ学びたい気持ちはあるが(せめて、もう一年…。)、欲を言っていてはきりがない。そういう時期が来たという事だ。
鄭老師からは以下の言葉を受け取った。
「あなたは本物を見て、知っている。何が偽物なのかも分かるはずだ。」
「これまでいっぱい教えたけど、これからは習うのではなく、自分自身で真理を身につけていってほしい。」
「自分で身につけなければダメだ!練習をしていると、過去の拳士たちの事がわかってくる。また助けてくれる。」
「そして日本にきちんとしたものを残していってほしい。」
この言葉は私だけでなく、当会で老師の指導を受けた皆さんにも受け取って頂きたい。
今後、日本や中国でお会いする機会に恵まれるかもしれないが、じっくりと学ぶ機会、復習する機会はないだろう。
いつまでも老師に甘えていても仕方がない。習いたくとも復習する機会はないのだ。今後は自分自身で切り開いていくしかない。武術とは最終的にそういうものだと思う。

最後の5年間、近しく個人指導をして頂いた小倉庭園外苑。もう二度とこの場所で練習する機会はない。

残念ながら、第二掌(双換掌)までとなった傳剣秋伝の八卦掌。

拝見するのは最後となるかもしれない鄭先生の八卦掌。この日は走圏と単換掌を目に焼き付けた!

独特の雰囲気を醸し出す古典式太極拳。写真は単鞭。

鄭先生の古典式太極拳 野馬分鬃。

最後に小倉城をバックに。出会ってから丸20年。お互いに様々な事を経験し、年輪を重ねた。

練習後は、鄭先生が愛した小倉城下を二人で探索。

鄭先生が最初に道場を開いたのは、小倉城内の広場だった。

鄭先生が河図洛書の原理の確信を得たという石。

中国原産の大イチョウと鄭老師。

日本の地に伝統の中国文化を伝えた鄭志鴻老師。今後の彼の活躍に期待したい。
2015年12月22日 記す
追記 【当会の活動理念 と 名称の由来】
さて、今回の鄭老師の帰国に関して、私が改めて感じた事は、いま学んでいる老師とも、いずれ必ず別れの時が訪れるという事だ。
今回のように帰国という場合もあるだろうし、逆に海外への移住を考えている場合もあるだろう。また私が以前学んでいた老師は、70歳の時に指導の一切を引退された。他にも様々な理由で老師に学べなくなるというケースはあるだろう。
そうなった時に慌てて「老師、もっと教えて下さい。」と言っても仕方がない。老師にも次の人生があるのだ。次の一歩を踏み出そうという時に、足を引っ張られても困ってしまうだろう。
武術に限らず、やはり学ぶという行為には、教える側に教える時間と環境があり、学ぶ側にも同じように学ぶ環境がなければ成就するものではない。その上で時期や運、タイミングといったものが関わってくる。(詳しくは、「学ぶ時期、運、縁、タイミング」のページを参照されたい。)
今回は、そういった不測の事態に備え、いかに武術を学んでいくかを再度考察してみたい。
伝承、復元、発展
これは、湧泉会の特徴のページに記載されている当会の活動理念である。
伝承とは学ぶ側にとっては習得の期間である。その門派の一般的な練習カリキュラムと体系を学ぶ期間と言える。門派によって異なるが、大体8~10年といったところではないだろうか。
そして、その中でも最も重要なのが最初の3~4年である。この期間は基礎、根幹を学ぶ時期である。
この期間は、とにかく密度濃く学んでおく必要がある。この期間に稽古の出席率が非常に低かったり、師の言う通りの練習をしていないと、結果としてこの基礎を学ぶ期間がダラダラと2倍3倍となってしまう。
逆に言えば、この期間さえしっかりと学んでおけば、この後の期間はある程度、間が空いてしまっても、当人に学ぶ気持ちがあれば習得していくことも可能だろう。
さて、基本を学んだ後は、その門派の主要な套路をいくつか学んでいくことになる。そして套路も学び終えました。さあ卒業です。で終われば良いのだが、中国武術に限らず東洋の伝統武術は、主要な套路を学び終えてからが本当の修行であると思う。
本当に真面目に練習をしてきた方は、套路を覚え終えても、自分の動きと老師の動きが違うという事に気付くだろう。また老師のように技も効かない。
気付かない人は、まともな練習を積んでいないか、その老師自体に問題があるのだろう。やはり、まともな修行を積んできた老師なら、少なくとも套路を学び終えただけの者とは、別次元の動きや技を有している筈だと思う。
そして学習者は、ここから少しでも老師の動きに近づくための努力をしていかなければならない。そう、老師の動きを復元していかなければならないのだ。
しかし、ただ練習の量を増やしてみても、なかなかその差は埋まってはくれない。
そこで、必要なのが当会の名称の由来である思考・行動・創造である。
まず、なぜうまくいかないのかを考え、仮説を立てる。そして、その仮説を基に練習してみる。
当然、一度でうまくいく筈もない。
うまくいかなければ、再度仮説を立てる。練習を繰り返す。この繰り返しが思考であり行動である。
それを何度繰り返してみても、なかなか老師の動きには近付けない。
なぜか!?
老師のほうでも、同じ作業を繰り返しているからである。
老師のほうでも、彼の師の動きや原理を追いかけ、復元を目指している。更に一定の感覚(功夫)を得ている老師は、単に復元だけでなく、そこから自分なりの技術や練習方法を創造し、発展させていく。
それでは、いつまでたっても師に追い付けないではないかと思う方もいるだろう。
確かに、その老師が練習を続けているうちは、老師を追い抜く事は難しいだろう。
しかし、この伝承から復元の過程を得る中で、思考し行動した成果は、確実に身体の内面を変革させ、蓄積させていく。例えれば、冬の間に蓄えたエネルギーが春に芽生えるようなもので、いつ現実に表に現れるか、その時期を待っているのである。(具体的に言えば、様々な動き試す事によって、脳と身体各部を繋ぐ神経回路が開発されていく)
俗に中国武術の世界では、三年で小成、六年で中成、九年で大成と言うが、忙しい現代社会では難しい。馬貴派では、三年で小成、八年で中成、十年で大成と言う。
いずれにしろ、習得してからが勝負であるが、老師が近くにいて頼れるうちは、ついつい甘えが出てしまって自立ができない。
さて今回の鄭老師の帰国が、私自身や当会にどのような影響を与えていくのだろうか。
私の中では、既に5年先までの生徒に指導する練習カリキュラムが構築されてある。そこに、これまで意図的に公開してこなかった鄭老師に学んだ技術が加わってくる。それも、ただ加えるだけではない。いかに料理していくかを考え始めた。
今後の当会の練習カリキュラムがどのように創造され発展していくか、私自身が一番楽しみである。
2015年12月29日 記す
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