ヒョードル引退!?
- 2011/02/18
- 16:16
2月12日(土・現地時間)、Strikeforceのヘビー級GP準々決勝戦として、エメリヤーエンコ・ヒョードル×アントニオ・ペイザォン・シウバの試合が行われ、敗れたエメリヤーエンコ・ヒョードルから引退を示唆するコメントが発せられたとの事である。
エメリヤーエンコ・ヒョードル
格闘技に興味のある方で、この名前を知らない人はいないだろう・
総合格闘技の世界でここ10年ほどの間、文字通り「人類最強」と言われた男である。
いまさら私が説明する必要もないと思うが、日本の総合格闘技団体リングスの元ヘビー級及び無差別級チャンピオンであり、リングスの活動停止後は、当時世界最高峰の格闘技イベントだった「プライド」へ移籍し、僅か3戦で世界チャンピオンとなり、プライドの活動中は無敗。プライドの活動停止後もアメリカの総合格闘技団体(アフリクション?など)でも無敗。昨年6月にStrikeforceのリングでファブリシオ・ベルドゥムに三角絞めで敗れたが、それでもヒョードル最強説はそうそう揺らぐものではなかった。
私などが分析するのもおこがましい気がするが、ヒョードルの強さを分析すると以下の点が挙げられる。
①立ち技、パウンド両方でのとにかく壮絶な打撃力(相手を破壊する)
②柔道やサンボの下地があり、柔軟かつ強靭な腰の強さやバランス感覚(テイクダウンを取られない。相手の下にならない)
③一瞬の極め技の強さ
とにかくk-1のトップファイターであったミルコやハントと殴りあっても打ち負けないし(むしろ圧倒していた)テイクダウンを取られることも相手の下になることもほとんどない。そして相手の上になれば、殺人的なパウンドが襲ってくる。また普通の選手の場合は、関節技をかけるにしても、一旦、形に入ってからじわじわ極めるものだが、ヒョードルの場合は一瞬の切り返しで極めてしまう。当然穴もあったとは思うが、とにかくあれだけの攻撃力を持った選手というのは、ヒョードル以外にいなかったのではないだろうか。
そのヒョードルと戦ってもらいたい夢の対決はいくつもあったが、もしヒョードルの引退が現実のものになるのであれば、元UFCチャンピオンのブロックレスナーなどUFCトップファイター達との対戦は、夢で終わってしまうようた。
しかし、私が 一番ヒョードルとの対戦を楽しみにしていたのは、ヒョードルが現れる前の約10年間同じように総合格闘技界で「最強」といわれたヒクソン・グレイシーである。
もう18年も前のことになるが、初期UFCの大会で優勝していたヒクソンの実弟であるホイス・グレイシーが「私の兄は私の10倍強い!」と発言したことから、その兄であるヒクソンの存在に俄然注目が集まった。そして、そのヒクソンが日本のバーリ・トゥード ジャパンという総合格闘技の大会に参戦すると言う。そして94年の第一回、翌95年の第二回大会とも参戦した日本人選手、外国人選手をすんなり破って優勝してしまう。
そして2年後の97年には、第一回のPRIDEで現在タレントとしても活躍している格闘系のプロレスラー 高田延彦をこれまたあっさり完封勝利、そして翌98年のPRIDE4でもリベンジを誓う高田延彦と再戦し、これまたあっけなく同じ技で片付けてしまう。
更にその2年後の2000年には、同じく格闘系のプロレスラーである船木誠勝と戦い、途中にもらった打撃で眼窩低骨折をしたらしいが、これまたあっけなく勝利する。
この試合が実質的に最後の試合となり、ヒクソンは負けることなく「最強」のまま引退してしまった。
そして入れ替わるように登場したのがヒョードルだった。
お互いの現役時代のベストの時にもし対戦が実現していたら、果たしてどうなっていただろうか。
ヒクソンの場合は、ヒョードルと比べると極端に試合数が少ないし、ヘビー級の総合のトップファイター達との対戦はほぼ皆無だったから、現実的にはやはりヒョードルが圧倒していただろうか。
しかし、ヒクソンなら・・・と思わせるだけの何かをヒクソンが持っていたのも事実である。
お互いに間違いなく一時代を築いた魅力的なファイターだった。
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格闘技に興味のある方で、この名前を知らない人はいないだろう・
総合格闘技の世界でここ10年ほどの間、文字通り「人類最強」と言われた男である。
いまさら私が説明する必要もないと思うが、日本の総合格闘技団体リングスの元ヘビー級及び無差別級チャンピオンであり、リングスの活動停止後は、当時世界最高峰の格闘技イベントだった「プライド」へ移籍し、僅か3戦で世界チャンピオンとなり、プライドの活動中は無敗。プライドの活動停止後もアメリカの総合格闘技団体(アフリクション?など)でも無敗。昨年6月にStrikeforceのリングでファブリシオ・ベルドゥムに三角絞めで敗れたが、それでもヒョードル最強説はそうそう揺らぐものではなかった。
私などが分析するのもおこがましい気がするが、ヒョードルの強さを分析すると以下の点が挙げられる。
①立ち技、パウンド両方でのとにかく壮絶な打撃力(相手を破壊する)
②柔道やサンボの下地があり、柔軟かつ強靭な腰の強さやバランス感覚(テイクダウンを取られない。相手の下にならない)
③一瞬の極め技の強さ
とにかくk-1のトップファイターであったミルコやハントと殴りあっても打ち負けないし(むしろ圧倒していた)テイクダウンを取られることも相手の下になることもほとんどない。そして相手の上になれば、殺人的なパウンドが襲ってくる。また普通の選手の場合は、関節技をかけるにしても、一旦、形に入ってからじわじわ極めるものだが、ヒョードルの場合は一瞬の切り返しで極めてしまう。当然穴もあったとは思うが、とにかくあれだけの攻撃力を持った選手というのは、ヒョードル以外にいなかったのではないだろうか。
そのヒョードルと戦ってもらいたい夢の対決はいくつもあったが、もしヒョードルの引退が現実のものになるのであれば、元UFCチャンピオンのブロックレスナーなどUFCトップファイター達との対戦は、夢で終わってしまうようた。
しかし、私が 一番ヒョードルとの対戦を楽しみにしていたのは、ヒョードルが現れる前の約10年間同じように総合格闘技界で「最強」といわれたヒクソン・グレイシーである。
もう18年も前のことになるが、初期UFCの大会で優勝していたヒクソンの実弟であるホイス・グレイシーが「私の兄は私の10倍強い!」と発言したことから、その兄であるヒクソンの存在に俄然注目が集まった。そして、そのヒクソンが日本のバーリ・トゥード ジャパンという総合格闘技の大会に参戦すると言う。そして94年の第一回、翌95年の第二回大会とも参戦した日本人選手、外国人選手をすんなり破って優勝してしまう。
そして2年後の97年には、第一回のPRIDEで現在タレントとしても活躍している格闘系のプロレスラー 高田延彦をこれまたあっさり完封勝利、そして翌98年のPRIDE4でもリベンジを誓う高田延彦と再戦し、これまたあっけなく同じ技で片付けてしまう。
更にその2年後の2000年には、同じく格闘系のプロレスラーである船木誠勝と戦い、途中にもらった打撃で眼窩低骨折をしたらしいが、これまたあっけなく勝利する。
この試合が実質的に最後の試合となり、ヒクソンは負けることなく「最強」のまま引退してしまった。
そして入れ替わるように登場したのがヒョードルだった。
お互いの現役時代のベストの時にもし対戦が実現していたら、果たしてどうなっていただろうか。
ヒクソンの場合は、ヒョードルと比べると極端に試合数が少ないし、ヘビー級の総合のトップファイター達との対戦はほぼ皆無だったから、現実的にはやはりヒョードルが圧倒していただろうか。
しかし、ヒクソンなら・・・と思わせるだけの何かをヒクソンが持っていたのも事実である。
お互いに間違いなく一時代を築いた魅力的なファイターだった。
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