学ぶ時期、運、縁、タイミング…。
- 2013/08/17
- 23:59
しばらく前に「いつやるの?今でしょ!」のフレーズがやたらと流行っていた。これほど軽い感じではないが、私自身の座右の銘として「いつかは、いつまで待っていても来ない。」というものがある。
文字通り、「いつかは、○○をやりたい」とか「そのうちに○○を始めよう」と思っていても、「いつか」と考えているうちは、そのやりたいものは、永遠に近付いて来ないということだ。
そして、この思いは年齢を重ねるにつれ、さらに強くなってきている。
理由は、功夫というものは、始めてみても、その結果が付いてくるのは、5年後10年後だからである。しかも、その5年後や10年後が必ず来るとは限らない。なぜなら自分がその時に練習できる(学べる)環境にあるかどうか、また練習ができるよう五体満足かどうか、そして学ぶべき師が学べる距離にいてくれるか、言い方は悪いが存命かどうかの保障もない。人は「いつ、どこで、どうなるのか」分からないからだ。
現実的に中国人の老師方は、何かの事情で帰国してしまうかもしれないし、日本人の師父も何らかの事情で指導ができなくなってしまうかもしれない。そうなってしまう前に、少なくともその門派の主要な練習体系を学んでおかなければ、二度と学ぶチャンスは得られない。学べなくなってから、いくら学びたいと思っても遅いのだ。そういった危機感が年々強くなってきている。
未来は誰にも分からない。
ならば、学びたい師がいて、指導が受けられるのであれば、躊躇している時間など無い。
現在の私がこれから先、新たな師に就くことはないと思うが、現在指導をして下さっている老師方からは、今後も危機感を持って、とことん学びたいと思う。
学ぶ時期、運、縁、タイミング…。
師に就き、学ぶ上で一番重要なことは、もちろん本人の確固たる意志だが、同時に学ぶべき時期や運、タイミングといったものも、振り返れば感じることも多い。これから中国武術を学びたいと思っている方達のために、私自身の経験も少し紹介してみよう。
以前、馬貴派八卦掌の李老師に学んでいた頃の話は、「信」を築く。の記事に詳しく書いたので、参照して頂きたいが、結果として言えば、やはりあの時期に学んでおいて良かったと思う。はっきり言えば、あの時期でなければ学べなかっただろう。また順を追って段階的な指導を受ける事ができた事も大きい。
以下は、岡山や福岡で過去に開催された講習会で学んだ内容である。
● 単換掌、探掌、蓋掌、反背捶などの基礎掌法
● 龍形八大母掌の前半
● 龍形八大母掌の後半
● 88式や探掌八変
● 単勾式八法
● 獅形八掌
おそらく、馬貴派八卦掌の初級から中級にかけての内容だと思うが、ここまでの内容でも、私がこれから東京の教室に通ったとしても、全てを順を追って指導してもらうのは不可能だと思う。
理由は、現在の東京のシステムでは、必ずしも順を追った指導はされていないようだし、当会と練習の曜日が重なっているので、私もそうそう通う事はできない。ランダムに通いながら体系を学ぶのは、まず無理だろう。
しかし、あの時期に頑張ったおかげで、その後も老師からの個人指導や兄弟子との稽古、また東京の講習会に通う事で、
●龍形八大母掌の第二段階
●熊形八掌
までは習得できた。現在128式にも挑戦中だが、128式を学べるチャンスもおそらくいまだけだろう。今後も何とか頑張って行きたいと思う。
次に現在、当会に太極剣の指導に来て頂いている鄭志鴻老師との出会いも紹介しておこう。
鄭先生との出会いは、1995年。もう18年も前のことになる。当時彼は北九州大の大学院に留学するために来日し、小倉で太極拳や八卦掌を教え始め、福岡にも教室を出したいと思っていた折、私が専門誌で中国武術の先生を探している事を知って、鄭先生のほうから私に手紙を送ってくれた。この手紙は現在も大切に保管している。
私は入門し、福岡教室の第一期生になる。
他の入門者は、八卦掌を学ぶ人が多かったので、私は一人で太極拳を学ぶことができた。その点では運が良かったのだろう。他の人は集団教授だったが、私は個人指導だった。
しかし、私はその後、仕事で関西に行くことになり、長らく離門してしまう事になる。
8年後に復門する事になるが、この時は先生の住所も電話番号も変わっており、また福岡の練習場所や曜日も全て変わっていたので、まず鄭先生の連絡先を探すのが大変だった。
そして更に大変だったのが、復門してからである。
何しろ一度辞めた人間である。信用を取り戻すのが大変だった。正直また辞めると思われていたのだろう。八卦掌を新たに学ぶことになったが、丸2年間は走圏だけで全く先に進まなかった。では八卦掌は、根気強く走圏をコツコツとやって、昔学んだ太極拳を復習しようと思うと、「あなたの太極拳は、私の教えた太極拳とは違う。修正しない!」と言われ、太極拳の復習もしてくれない。(私が入門した当時と、復門した頃の鄭先生の太極拳は、随分と雰囲気が変わっていた。)
仕方ないので、毎月月謝を払って、道場に行き、自分で走圏をし、自分で太極拳の復習をして帰ってくる日々が続いた。「今日も何も習えなかったな。何のために通っているのだろう」と当時はよく思ったものだ。普通の人であれば辞めてしまうだろう。私と同じような境遇で復門した人もいたが、結局途中でまた辞めてしまった。
私自身も「あなたは辛抱できるかな。辞める?」と直接言われたこともある。
逆にこれが私に火をつけた。
ここで辞めてしまえば、さすがに3回目は無いだろう。
コツコツと月に3回小倉まで通い続ける。
そうしているうちに、他の兄弟弟子たちが仕事が忙しくなったり、環境の変化などで段々道場に来なくなり、練習に来るのは私一人という日も何度かあった。
一人なので先生と色々と話す機会もある。話しを聞いていると、この時期の鄭先生は、色々な出来事があり、正直教える気をなくしていたそうだ。
理由の一つは執筆活動に本腰を入れ始めた事と、もう一つは日本人はせっかく教えても、ある程度教えてしまうと簡単に辞めてしまうとのことだった。
実際私が復門する前に八卦掌をかなり深くまで学んでいた人が、あっさりと辞めてしまい。また私の復門後にも太極拳をかなり熱心に練習していた人が「私はここの道場には合いません」と言って辞めてしまった。もう新しい弟子は採らないと、入会金を15万にしたのもこの頃である。私も随分と悪い時期に復門したものだ(苦笑)
私も指導者として10年目を迎えたが、人を指導するというのも随分と神経を使う。特に目をかけていた弟子に去られたり、簡単に道を諦めてしまう生徒を何人も見てくれば、時期的にやる気を失うのも今は分かる。
しかし私は、その後もコツコツを通い続け、丸5年かけて宋派の八大掌を習得する。八大掌の八掌目を教わった時は、本当に嬉しかったなぁ♪
その頃を境に、鄭先生も少しづつだが、信頼を取り戻してくれたようにも思う。私のほうでも先生に対して、親と同じように労わりの気持ちが自然と生まれてきた。遠方から夜に通うのは大変だろうからと、昼間に個人指導をしてくれるようになったし、2012年からは、遠く太宰府までわざわざ太極剣を教えに来てくれるようにもなった。
現在は、程派の老八掌の指導を月1回のペースで受けているが、鄭先生が日本にいる間は、今後も良い関係を続けたいと思う。
読まれてみていかがだっただろうか?
私の経験を言えば、「運」というものは、向こうから来る場合も、こちらから掴みに行く場合もあるが、まず自分から行動を起さなければ、何も始らないという事だ。
正直、運の良い時も悪い時もある。
しかし一番重要な事は、運が良かろうが悪かろうが、その「運」を「縁」に拡げ、さらに「信用」を築いていく本人の努力。という事になる。
逆に言えば、実績を積んで信用を築いていけば、ある程度はこちらの希望にも応えてくれる。
チャンスは何度も来る訳ではない。その時期に掴めるかどうかは、あなた次第である。
武術の世界は、終わりがない。
尊敬できる人間として、生涯付き合える師を持つことは、何よりの幸福だと思う。
私が指導を受けた他の老師方のことは、また機会を改めてご紹介したい。
2013,8,17 記す
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文字通り、「いつかは、○○をやりたい」とか「そのうちに○○を始めよう」と思っていても、「いつか」と考えているうちは、そのやりたいものは、永遠に近付いて来ないということだ。
そして、この思いは年齢を重ねるにつれ、さらに強くなってきている。
理由は、功夫というものは、始めてみても、その結果が付いてくるのは、5年後10年後だからである。しかも、その5年後や10年後が必ず来るとは限らない。なぜなら自分がその時に練習できる(学べる)環境にあるかどうか、また練習ができるよう五体満足かどうか、そして学ぶべき師が学べる距離にいてくれるか、言い方は悪いが存命かどうかの保障もない。人は「いつ、どこで、どうなるのか」分からないからだ。
現実的に中国人の老師方は、何かの事情で帰国してしまうかもしれないし、日本人の師父も何らかの事情で指導ができなくなってしまうかもしれない。そうなってしまう前に、少なくともその門派の主要な練習体系を学んでおかなければ、二度と学ぶチャンスは得られない。学べなくなってから、いくら学びたいと思っても遅いのだ。そういった危機感が年々強くなってきている。
未来は誰にも分からない。
ならば、学びたい師がいて、指導が受けられるのであれば、躊躇している時間など無い。
現在の私がこれから先、新たな師に就くことはないと思うが、現在指導をして下さっている老師方からは、今後も危機感を持って、とことん学びたいと思う。
学ぶ時期、運、縁、タイミング…。
師に就き、学ぶ上で一番重要なことは、もちろん本人の確固たる意志だが、同時に学ぶべき時期や運、タイミングといったものも、振り返れば感じることも多い。これから中国武術を学びたいと思っている方達のために、私自身の経験も少し紹介してみよう。
以前、馬貴派八卦掌の李老師に学んでいた頃の話は、「信」を築く。の記事に詳しく書いたので、参照して頂きたいが、結果として言えば、やはりあの時期に学んでおいて良かったと思う。はっきり言えば、あの時期でなければ学べなかっただろう。また順を追って段階的な指導を受ける事ができた事も大きい。
以下は、岡山や福岡で過去に開催された講習会で学んだ内容である。
● 単換掌、探掌、蓋掌、反背捶などの基礎掌法
● 龍形八大母掌の前半
● 龍形八大母掌の後半
● 88式や探掌八変
● 単勾式八法
● 獅形八掌
おそらく、馬貴派八卦掌の初級から中級にかけての内容だと思うが、ここまでの内容でも、私がこれから東京の教室に通ったとしても、全てを順を追って指導してもらうのは不可能だと思う。
理由は、現在の東京のシステムでは、必ずしも順を追った指導はされていないようだし、当会と練習の曜日が重なっているので、私もそうそう通う事はできない。ランダムに通いながら体系を学ぶのは、まず無理だろう。
しかし、あの時期に頑張ったおかげで、その後も老師からの個人指導や兄弟子との稽古、また東京の講習会に通う事で、
●龍形八大母掌の第二段階
●熊形八掌
までは習得できた。現在128式にも挑戦中だが、128式を学べるチャンスもおそらくいまだけだろう。今後も何とか頑張って行きたいと思う。
次に現在、当会に太極剣の指導に来て頂いている鄭志鴻老師との出会いも紹介しておこう。
鄭先生との出会いは、1995年。もう18年も前のことになる。当時彼は北九州大の大学院に留学するために来日し、小倉で太極拳や八卦掌を教え始め、福岡にも教室を出したいと思っていた折、私が専門誌で中国武術の先生を探している事を知って、鄭先生のほうから私に手紙を送ってくれた。この手紙は現在も大切に保管している。
私は入門し、福岡教室の第一期生になる。
他の入門者は、八卦掌を学ぶ人が多かったので、私は一人で太極拳を学ぶことができた。その点では運が良かったのだろう。他の人は集団教授だったが、私は個人指導だった。
しかし、私はその後、仕事で関西に行くことになり、長らく離門してしまう事になる。
8年後に復門する事になるが、この時は先生の住所も電話番号も変わっており、また福岡の練習場所や曜日も全て変わっていたので、まず鄭先生の連絡先を探すのが大変だった。
そして更に大変だったのが、復門してからである。
何しろ一度辞めた人間である。信用を取り戻すのが大変だった。正直また辞めると思われていたのだろう。八卦掌を新たに学ぶことになったが、丸2年間は走圏だけで全く先に進まなかった。では八卦掌は、根気強く走圏をコツコツとやって、昔学んだ太極拳を復習しようと思うと、「あなたの太極拳は、私の教えた太極拳とは違う。修正しない!」と言われ、太極拳の復習もしてくれない。(私が入門した当時と、復門した頃の鄭先生の太極拳は、随分と雰囲気が変わっていた。)
仕方ないので、毎月月謝を払って、道場に行き、自分で走圏をし、自分で太極拳の復習をして帰ってくる日々が続いた。「今日も何も習えなかったな。何のために通っているのだろう」と当時はよく思ったものだ。普通の人であれば辞めてしまうだろう。私と同じような境遇で復門した人もいたが、結局途中でまた辞めてしまった。
私自身も「あなたは辛抱できるかな。辞める?」と直接言われたこともある。
逆にこれが私に火をつけた。
ここで辞めてしまえば、さすがに3回目は無いだろう。
コツコツと月に3回小倉まで通い続ける。
そうしているうちに、他の兄弟弟子たちが仕事が忙しくなったり、環境の変化などで段々道場に来なくなり、練習に来るのは私一人という日も何度かあった。
一人なので先生と色々と話す機会もある。話しを聞いていると、この時期の鄭先生は、色々な出来事があり、正直教える気をなくしていたそうだ。
理由の一つは執筆活動に本腰を入れ始めた事と、もう一つは日本人はせっかく教えても、ある程度教えてしまうと簡単に辞めてしまうとのことだった。
実際私が復門する前に八卦掌をかなり深くまで学んでいた人が、あっさりと辞めてしまい。また私の復門後にも太極拳をかなり熱心に練習していた人が「私はここの道場には合いません」と言って辞めてしまった。もう新しい弟子は採らないと、入会金を15万にしたのもこの頃である。私も随分と悪い時期に復門したものだ(苦笑)
私も指導者として10年目を迎えたが、人を指導するというのも随分と神経を使う。特に目をかけていた弟子に去られたり、簡単に道を諦めてしまう生徒を何人も見てくれば、時期的にやる気を失うのも今は分かる。
しかし私は、その後もコツコツを通い続け、丸5年かけて宋派の八大掌を習得する。八大掌の八掌目を教わった時は、本当に嬉しかったなぁ♪
その頃を境に、鄭先生も少しづつだが、信頼を取り戻してくれたようにも思う。私のほうでも先生に対して、親と同じように労わりの気持ちが自然と生まれてきた。遠方から夜に通うのは大変だろうからと、昼間に個人指導をしてくれるようになったし、2012年からは、遠く太宰府までわざわざ太極剣を教えに来てくれるようにもなった。
現在は、程派の老八掌の指導を月1回のペースで受けているが、鄭先生が日本にいる間は、今後も良い関係を続けたいと思う。
読まれてみていかがだっただろうか?
私の経験を言えば、「運」というものは、向こうから来る場合も、こちらから掴みに行く場合もあるが、まず自分から行動を起さなければ、何も始らないという事だ。
正直、運の良い時も悪い時もある。
しかし一番重要な事は、運が良かろうが悪かろうが、その「運」を「縁」に拡げ、さらに「信用」を築いていく本人の努力。という事になる。
逆に言えば、実績を積んで信用を築いていけば、ある程度はこちらの希望にも応えてくれる。
チャンスは何度も来る訳ではない。その時期に掴めるかどうかは、あなた次第である。
武術の世界は、終わりがない。
尊敬できる人間として、生涯付き合える師を持つことは、何よりの幸福だと思う。
私が指導を受けた他の老師方のことは、また機会を改めてご紹介したい。
2013,8,17 記す
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