中国武術界特有の習慣
- 2010/11/01
- 20:47
前回、中国武術の世界では、古くから門弟(一門の弟子)と学生(一般の生徒)を分ける習慣があり、門弟になれなければ、実伝や真伝といった本質的な部分の指導は、生涯受けることができないと書いた。
ショックを受けられた方もいるだろうし、ある意味ひどい話しだなと思った方もいるかもしれない。
確かに同じように月謝を払って稽古に通っているのにひどい話しだなと私も思う。しかし、そういった習慣や伝統があるなら従わなくては仕方ないだろう。要は自分自身が門弟に選ばれるよう努力すればよいことだ。
ちなみに独特の習慣と書いたが、よくよく考えれば、他の武道にしろ格闘技にしろスポーツにしろ、結局は同じではないかとも思う。どの業界でも素質がありやる気のある生徒は優遇されるだろうし、また学ぶ目的によっても区別はあるだろう。例えばボクシングを習うにしても、ダイエットや健康維持で通う人と最初からプロを目指す人とでは、明らかに教え方は変わってくる。
ただ中国武術の場合は、やはり教えてもらわなければ一生気付かないで終わってしまう内容やある段階まで練功が進まなければ、仮に教えてもらっても何の理解もできない内容を有していることは確かだろうと思う。
門弟(弟子)になるために。
とはいえ自分自身が門弟になりたくても、そう簡単には門弟にはなれないのが中国武術の世界である。
まず前提として、他の同期生と比べて技術的にずば抜けている部分というのは当然必要だろう。その上で、人柄が良く後輩の面倒見が良いとか、あるいは決して素質は無いけれどもひたむきに努力して頑張っているとか、何かしら他の人物と比べて秀でている部分というものが必要になってくる。要はその門派にとって必要な人間であるか、先生にとってこの人に真剣に伝えたいと思わせる何かをその人が持っているかどうかだろう。
言い換えれば、人並みの努力しかできない人やいても何の役にも立たない人であれば、残念ながら門弟になるのは難しいと思う。
そのためには、やはり技術的にも人間的にも自分自身をどれだけ客観的に見れるかどうかが重要になってくる。
技術的な面での欠点は、先生が日々の稽古で注意してくれていると思う。それを客観的に捉え、どれだけ自分自身で改善していけるか。どんなに一所懸命に練習していても、内家拳はこの欠点を自分自身で改善できる人間でなければ習得は難しい。
人間的な欠点は、前回説明した入門後の心得六箇条を参考にしてもらいたい。こちらは本人が自分自身で改善する意志があればどうとでもなるだろう。
後は、ひたすらにやる気を見せ続け、努力を続けるしかないだろう。その時期は3年後に来るかもしれないし、5年後、10年後かもしれない。とにかく自分は一生をかけて武術をやっていきます。という気持ちが先生に伝わるかどうかだと思う。
最終的に門弟になれるかどうかは、皆さんが習っている先生方が決めることなので、この項では、中国武術界特有の習慣を紹介して、そのヒントとしてもらいたい。
中国武術界特有の習慣
まず、なぜ門弟と学生を分けるのか、その理由から話を進めていこう。
以前、当会の会員向けに配布した「太極拳・内家拳の歴史」という拙文と重複するが、現在では老人向けの健康法としてのイメージが強い太極拳も本来は陳家溝という村を守るための護身術であった。
中国という広大な国土は、絶えず異民族間で侵略・征服を繰り返してきた歴史がある。近代でいえば、映画化された「ラストエンペラー」の時代は、満州族の支配によるものだったし、チンギス・ハーンや孫のフビライが築いた歴史上の最大国家「元」はモンゴル族によるものだった。
そうした異民族による侵略や内戦が繰り返される度に、一番被害を受けるのは戦地の住民である。戦争中の略奪行為や暴力行為は、今の我々には想像できない壮絶さだろう。その恨みは50年後100年後も忘れられる事はない。そして我々日本人も中国を荒らしまわった張本人である。先日の尖閣諸島の問題にしても中国側の反応を見れば、彼らの根底にいかに根深く反日感情があるかが分かるだろう。また地方では戦争以外にも馬賊や盗賊の襲来というものも当然あっただろう。
そういった略奪や暴力に対抗するために、村人達は武器を持ち自衛する必要があった。
当初は原始的で幼稚な技術だったかもしれない。しかしスポーツのように負けて次があるわけではない。自分の身は自分で守らなければならない。守れなければ殺されるだけである。当然、研究せざるをえなかっただろうし、なかには才能に優れた者もいただろう。そうした試行錯誤の結果、生まれたのが中国の伝統武術だと思う。
当然自分達の身を守るためのものだから、家族や一族の者にしか教えない。簡単に教えてしまっては、自衛のための技術を盗まれ、返し技を研究されてしまう。自分達以上の武術を発生させてしまうとことになる。だから、一族以外には余程の信頼関係がなければ教えないし見せもしない。見せるわけにいかないのだ。
実際に太極拳の用法なども学んでみると、あまりにもえげつないものが多く、表面上のイメージは壊れてしまう。
そういった習慣が、昔ほどではないが現在も残っており、絶対的に信用のおける門弟とそうではない学生とにわける必然性があり、実伝や秘伝の類は、門弟以外に見せられないというわけである。
ちなみに総合格闘技が一般に広まりだした頃、ブラジルのグレイシー柔術というのが断トツの強さを誇っていた。彼らの技術の中には、同じように一族関係にのみ伝える技術が多くあったという。しかし試合に出てその技術を公開していくうちに、次第に研究され勝てなくなっていった。現在では、グレイシー柔術の技術を基盤にそれ以上の総合格闘技の技術体系が構築されつつあるようだ。やはり見せてしまえば、それ以上の技術が発生してしまうということだ。
少し話が脱線してしまったが、こういった弟子と学生を分ける習慣をひとつの形式・儀式としたものが、いわゆる
拝師制度ということになる。
次回は、この拝師という制度について紹介してみよう。
2010-11-01 記
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中国武術の学び方⑧へ 拝師という制度
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ショックを受けられた方もいるだろうし、ある意味ひどい話しだなと思った方もいるかもしれない。
確かに同じように月謝を払って稽古に通っているのにひどい話しだなと私も思う。しかし、そういった習慣や伝統があるなら従わなくては仕方ないだろう。要は自分自身が門弟に選ばれるよう努力すればよいことだ。
ちなみに独特の習慣と書いたが、よくよく考えれば、他の武道にしろ格闘技にしろスポーツにしろ、結局は同じではないかとも思う。どの業界でも素質がありやる気のある生徒は優遇されるだろうし、また学ぶ目的によっても区別はあるだろう。例えばボクシングを習うにしても、ダイエットや健康維持で通う人と最初からプロを目指す人とでは、明らかに教え方は変わってくる。
ただ中国武術の場合は、やはり教えてもらわなければ一生気付かないで終わってしまう内容やある段階まで練功が進まなければ、仮に教えてもらっても何の理解もできない内容を有していることは確かだろうと思う。
門弟(弟子)になるために。
とはいえ自分自身が門弟になりたくても、そう簡単には門弟にはなれないのが中国武術の世界である。
まず前提として、他の同期生と比べて技術的にずば抜けている部分というのは当然必要だろう。その上で、人柄が良く後輩の面倒見が良いとか、あるいは決して素質は無いけれどもひたむきに努力して頑張っているとか、何かしら他の人物と比べて秀でている部分というものが必要になってくる。要はその門派にとって必要な人間であるか、先生にとってこの人に真剣に伝えたいと思わせる何かをその人が持っているかどうかだろう。
言い換えれば、人並みの努力しかできない人やいても何の役にも立たない人であれば、残念ながら門弟になるのは難しいと思う。
そのためには、やはり技術的にも人間的にも自分自身をどれだけ客観的に見れるかどうかが重要になってくる。
技術的な面での欠点は、先生が日々の稽古で注意してくれていると思う。それを客観的に捉え、どれだけ自分自身で改善していけるか。どんなに一所懸命に練習していても、内家拳はこの欠点を自分自身で改善できる人間でなければ習得は難しい。
人間的な欠点は、前回説明した入門後の心得六箇条を参考にしてもらいたい。こちらは本人が自分自身で改善する意志があればどうとでもなるだろう。
後は、ひたすらにやる気を見せ続け、努力を続けるしかないだろう。その時期は3年後に来るかもしれないし、5年後、10年後かもしれない。とにかく自分は一生をかけて武術をやっていきます。という気持ちが先生に伝わるかどうかだと思う。
最終的に門弟になれるかどうかは、皆さんが習っている先生方が決めることなので、この項では、中国武術界特有の習慣を紹介して、そのヒントとしてもらいたい。
中国武術界特有の習慣
まず、なぜ門弟と学生を分けるのか、その理由から話を進めていこう。
以前、当会の会員向けに配布した「太極拳・内家拳の歴史」という拙文と重複するが、現在では老人向けの健康法としてのイメージが強い太極拳も本来は陳家溝という村を守るための護身術であった。
中国という広大な国土は、絶えず異民族間で侵略・征服を繰り返してきた歴史がある。近代でいえば、映画化された「ラストエンペラー」の時代は、満州族の支配によるものだったし、チンギス・ハーンや孫のフビライが築いた歴史上の最大国家「元」はモンゴル族によるものだった。
そうした異民族による侵略や内戦が繰り返される度に、一番被害を受けるのは戦地の住民である。戦争中の略奪行為や暴力行為は、今の我々には想像できない壮絶さだろう。その恨みは50年後100年後も忘れられる事はない。そして我々日本人も中国を荒らしまわった張本人である。先日の尖閣諸島の問題にしても中国側の反応を見れば、彼らの根底にいかに根深く反日感情があるかが分かるだろう。また地方では戦争以外にも馬賊や盗賊の襲来というものも当然あっただろう。
そういった略奪や暴力に対抗するために、村人達は武器を持ち自衛する必要があった。
当初は原始的で幼稚な技術だったかもしれない。しかしスポーツのように負けて次があるわけではない。自分の身は自分で守らなければならない。守れなければ殺されるだけである。当然、研究せざるをえなかっただろうし、なかには才能に優れた者もいただろう。そうした試行錯誤の結果、生まれたのが中国の伝統武術だと思う。
当然自分達の身を守るためのものだから、家族や一族の者にしか教えない。簡単に教えてしまっては、自衛のための技術を盗まれ、返し技を研究されてしまう。自分達以上の武術を発生させてしまうとことになる。だから、一族以外には余程の信頼関係がなければ教えないし見せもしない。見せるわけにいかないのだ。
実際に太極拳の用法なども学んでみると、あまりにもえげつないものが多く、表面上のイメージは壊れてしまう。
そういった習慣が、昔ほどではないが現在も残っており、絶対的に信用のおける門弟とそうではない学生とにわける必然性があり、実伝や秘伝の類は、門弟以外に見せられないというわけである。
ちなみに総合格闘技が一般に広まりだした頃、ブラジルのグレイシー柔術というのが断トツの強さを誇っていた。彼らの技術の中には、同じように一族関係にのみ伝える技術が多くあったという。しかし試合に出てその技術を公開していくうちに、次第に研究され勝てなくなっていった。現在では、グレイシー柔術の技術を基盤にそれ以上の総合格闘技の技術体系が構築されつつあるようだ。やはり見せてしまえば、それ以上の技術が発生してしまうということだ。
少し話が脱線してしまったが、こういった弟子と学生を分ける習慣をひとつの形式・儀式としたものが、いわゆる
拝師制度ということになる。
次回は、この拝師という制度について紹介してみよう。
2010-11-01 記
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